一昔前の「再婚」についての世の中のイメージとは変わってきてはいるものの、まだまだ初婚とは違う目で見られがちな「再婚」。今回は無事に離婚をした人が迎える可能性がある「再婚」の意味について考えてみました。
離婚は不幸という常識
今でこそ、女性の社会進出が進み、経済力がある女性が離婚するのは、当たり前のことになってきました。
少し前の日本には、「出戻り」などという言葉がはびこっていたのです。
もし、離婚をして実家に帰れば「あの人は出戻り」だと、後ろ指をさされたり、再婚が決まれば、「あの人は二度目なのよ!」と眉をひそめながらの噂話のネタになったりすることがしばしばでした。家族や親戚からも冷たい目で見られるのは当たり前なとんでもない社会でした。
私も離婚を経験していますが、もし、こんな言葉を使われたら、悲しくなりますね。
独身<不幸な結婚<離婚<再婚
その上、結婚していないことについては、「いきおくれ」などという言葉が存在していました。昔は、結婚してこどもを産むのが「当然」・「当たり前」・「普通」・「人並み」の世界でしたから。
そんな社会でしたので、結婚しないよりは、親が決めた結婚を受け入れて、たとえ不幸な結婚生活であっても親、社会の意に沿うことを余儀なくされていました。
つらく悲しくても、そのまま結婚生活を送ることが、離婚をして親の肩身を狭くするよりはましと考える女性も多かったと思います。
そして、最近でこそ離婚する人が増えてきて、当たり前になりましたが、やはりかつて白い目で見られることが多かった「離婚」をするのは勇気がいると考える人も多い社会です。
そしてそして、そんな時代には、再婚なんて、しようものなら「二度目の」(三度目or more)と言う形容詞をつけられて呼ばれるというような、恐ろしいことが起こっていました。
離婚・再婚の意味
現代の女性にとっては、離婚後の再婚についても、特に抵抗もないでしょう。
離婚した友人がいて、再婚したら応援しますよね。運動会の徒競走で友達が走るのを、応援するのと同じです。(ちょっと違うかな?)
離婚も再婚も、次の人生への扉と考えれば良いと思います。離婚の大変さ・辛さを経験した後なので、「もう結婚は懲り懲り!」 という気持ちからの選択ですので、目も肥えて良い相手を選んでいることでしょう。 再婚は幸せへのチケットになります。
年代が上の方々にとっては、この考え方が少し難しいようで、離婚・再婚と聞くと、違う人種の人のように自分と線を引こうとする人がいます。我慢に我慢を重ねて耐え忍ぶ人生を送ってきた人たちが多いので、それもわからないではない気はします。身勝手な人と考えてしまうのでしょうか。
そして、男性の中には、いまだに女性に対して「若さ」・「従順さ」を良いものと思い込んで、それを女性に求める人もいます。この考え方がいまだに男性社会の根底にあることは、日本の女性進出が世界でも最低レベルから抜け出せない理由の一つだと思います。
自分軸で幸せのボリュームを計ろう
人生の契機になる大きな出来事の決断をいくつもできる人というのは、自分軸で物事を考え、決定できる素敵な人だと思います。
何かを決断するときには、選ぶことと、捨てるものが発生します。何かを捨てるということは、勇気と心の力が必要です。捨てるということには心の痛みを伴いますので。
断捨離という言葉は簡単ですが、いざ、ものを捨てようとすると、なかなか捨てられないのは、捨てることに対して、心の痛みを乗り越えるのが難しいからなのです。
人間関係の断捨離は、モノよりもっともっと大変です。
世間が望むこと、親が望むことを我慢しながら続けていても、決して幸せを感じることはできません。
周りの人は、人の幸福と不幸の量を外から推測して比較するのが大好きです。これは今も昔も変わらず健在です。
本当に再婚をしたい相手が出現したら、自分の気持ちを良く見つめてみましょう。
自分の幸せは自分にしかわかりません。自分の心をよく見つめて、自分が心から幸せを感じる選択を積み重ねていきたいですね。
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